アイスランド 調査釣行 2019年 8月25日
世界のスプーンの原点であるABU社の銘品Toby ’トビー‘の生産が滞る
ようになってしばらくなる。それはスプーンと言えばまずTobyの名前があがる
ほどの銘ルアーだった。
当時の名言がある。
“ Toby or notToby . That is the question. “
シェイクスピアのハムレットの一句
“ To Be or notTo Be. That is the question” をもじった名言だ。
ABU Toby
大いに意訳すれば、“ やっぱりTobyでなくっちゃ! ”くらいであろうか。
もう何年も前になるがその名ルアーが日本から姿を消した。
自分もこのTobyがお気に入りでしたが日本の川ではなかなか使う出番が
ない。 それで海に持っていってスピニングロッドのトローリングでTobyを
流してカツオを 釣ったりしていた。 何年も前になるがそのTobyが日本の
市場から姿を消した。 日本のABU社のディーラーのピュアフィッシングの
営業担当と面談した時に、もうTobyは扱わないのか聞いてみた。すると
こんな返事が来た。
「数年前にABU社のルアー工場を移した際にTobyの型を置いてきたので
当分作れない。」
そんなバカな話があるか、と思ったがそれ以上突っ込んで聞いても何も
知らないようなので、Tobyをまた仕入れるように依頼して話はそこで
終わった。
それから1年くらいたったある日Tobyが販売されているのでまた生産
を再開したと思い、しばらくしてTobyをいくつか入手しようと思ったがもう
すでに欠品だらけだった。 Tobyの販売を待っていたアングラーが
こぞって買い求めたので売り切れになったのかもしれないが、その後は
生産されていないようだった。
さて、Tobyというのはどういうルアーであるかというと、その形状で理解
する人も多いと思いますがまずハイスピードルアーであることと、比較的
細身で重量があることが特徴である。 この2点が意味するところは、流れ
の強い川幅のある本流で2㎏から10㎏の大型トラウトや 20㎏級のサーモン
類を釣るためのルアーだということである。 日本でニジマスやブラウン
トラウト、各種のサーモン類が釣れる大きな河がどれほどあるだろうかを
考えると 日本の平水域ではあまり活躍できるルアーでも無いわけですが、
それでも小型のTobyは充分な実績があるようですし、大型のTobyも私の
ような往年のコレクターも含め ある程度売れているというのが現状かも
しれません。 海外ではもっと売れているはずだろうが実際の流通は
どうなのだろうかという疑問もあります。
もう一点、Tobyの行方を判断する要素として、ABU社の置かれる位置に
ついてはどうなのだろうか。 ABU社はスウェーデンでタクシーメーター工場
として発展し2代目が趣味であるリールの製造を始めた。 精密な極上の
リールを販売し世界中に売ったがアメリカのディーラーのガルシャ社が倒産した
ので吸収合併してABU Garcia 社となった。 しかし1995年にはABU Garcia社
は米国のピュアフィッシング社にM&Aで売却され日本ではピュアフィシング・
ジャパンが国内販売を行っている。 しかしピュアフィッシング社の親会社である
Jarden 社は2016年にアウトドア事業で有名なコールマンなどを傘下に持つ
投資会社ニューエル社に買収されたが、2018年にはピュアフィッシング社は
投資会社シカモールパートナーズに売却さている。
投資会社シカモールパートナーズの子会社ピュアフィッシング社の傘下の
ABU Garcia社は投資対象でたらい回しにされ、 当然その効率と成果を
追及されるようになり、 かつての職人気質の方向性を失いつつあるのだろう。
時代の波に翻弄されているということか。 ちなみに現在ABU Garcia社の
英語のウェブサイトにはTobyを含むスプーンやルアーのページは載っていない。
巨大な投資会社にとってはTobyの名声などとるに足らないことなのかもしれない。
話は戻るが世界のアングラーのTobyの評価や扱いはどうであろうか。
Tobyを検索すると、アイスランドのサーモンフィッシングツアーでよく釣れて
いるルアー、 お勧めのルアーにはきっとTobyの名前が載っている。
英文の中には “Tobyを持たずしてアイスランドの釣りを語るな”
などと言う凄味のある言葉もあった。 やはり外国の本流(とうとうとした流れの
ある水量の多い河)では未だにTobyの名声は変わっていないようだ。
だんだんと興味が湧いてきた。
ちょうどそんなことを考えているときにカジキの名人Boboss艇のSさんから
アイスランド釣行へのお誘いをいただいた。キューバのヘミングウエイカップ
への参加を中止にしたときだったのでさっそく同行させてもらうようにお願い
した。海の最高峰のカジキトローリングの対極、平水域の最高峰のサーモン
フィッシングに行くことで 得られる貴重な経験とチャンスを見逃せない。
何十年も前の話だが自分がメキシコのマザトランでカジキを釣りに行かな
かったら ビッグゲームルアーズもビルフィッシュラボもなかったかもしれない。
それになにより現地でのTobyの流通、現地での人気、世界のアングラーの
動向を目の当たりにするチャンスはそう多くありません。 Tobyだけではなく、
より多くのもの、より多くのことに触れてきたいですね。
さっそく準備に取り掛かる。まずはTobyを入手することですが、もちろん
新品の 販売はほぼないのでヤフオクで新品、中古を入手してリフォームする。
新品も釣れそうなカラーにリフォーム。オリジナルカラーとスペシャルカラーを
準備する。フックもサイズを現地に合わせて交換。 またスプーンのブランクを
手配してカラーリングと修正をする。それらのリフォームのできる職人を探して
依頼する。 どうも自分でリフォームすると上手くいかず釣れる気にならない。
その道のプロに依頼するのが一番だけどこの職人探しが難しい。 製品として
完成させる段階では絶対外せない重要な行程だから誰でもいいわけでもない。
リフォームしたToby
ブランクからの仕上げスプーン
アイスランドを始めヨーロッパではフライで釣ることが多いようなので比較の
ためにフライも用意する。自分はフライフィッシングの経験が少ないのでフライ
をスピニングロッドで使えるトレーラーフライを準備する。あとは未経験のウエイ
ダーや防寒具の準備も忘れないようにする。現地の釣具店の視察も重要な
要件なので下調べをして行程の合間で充分な時間で立ち寄れる予定を立てる。
最近はチューブフライがいいらしい。
Sunray Shadow がお勧めだと・・・
太陽光の影・・・下から見あげたベイトの影ということか
それで黒系が多いのですね。
フライトの前日の24日にSさんの車で関西空港のホテルにチェックインする。
翌25日の早朝、オランダ航空のカウンターで同行のSさんの御子息と、その
釣りの先輩のMさんと顔合わせをした。 Sさんの御子息(40代前半)とはどこか
ですれ違う程度に会っている。彼は行動力というか周囲に気を配りながら
力強く前に進むことのできる頼もしい御子息でした。 Mさんは大阪で150年続く
金箔を扱う会社の社長(40代後半)で世界中を飛び回って仕事をしている。
キャスティングルアーの金箔仕上げなども扱っているそうだ。 真面目でまっすぐで
多方面にわたって驚くほどの知識を持った方でした。
関空からアムステルダムまで約11時間、そこからアイスランドのレイキャビクまで
3時間半、 レイキャビクで1泊して早朝、国内線で1時間のフライトで空港のある
エイイルススタジルの町に到着する。 空港にはストレンジャー ロッジのオーナーと
ガイドが2台で迎えに来ていて、そこから2時間のドライブでロッジに着く。山越えを
すれば1時間ちょっとで着くのだが、釣り具店に立ち寄るために海岸沿いのルートで
走ってもらう。
空港建物
アイスランドの東端の内陸部に位置するエイイルススタジルの町からは遠くに
雪山が見えている。アイスランドの8月末はもう晩秋だった。 その小さな町を
抜けるのには10分もかからないくらいだ。 町のはずれのスーパーに寄って
3日間の飲み物と食べ物を買っていく。ロッジでは食事は3食付きでコーヒーや
紅茶はいつでも好きなだけ飲めるが、それ以外は何も無い。ロッジの周辺には
コンビニもマーケットも何もない。 あるのは河だけ、居るのは羊だけだった。
スーパー netto
エイイルススタジルを出るときは青空が見えていたが、山に差し掛かると今にも
降ってきそうな暗い雲が垂れこめていた。 ウインドブレーカーを着ないと少し寒い。
一時間ほど走って小さな港に着く。 港と言っても氷河でできたフィヨルドにドッグ
があるだけで港の活気があるわけではない。 3000トンくらいの船が係留されて
いたがタラ漁の漁船?運搬船? どんな積荷があるのだろうか気になる。
その港の一角に釣り具店があった。 60坪くらいの大きなショップだが並んでいる
商品の70%はアウトドアウエアで、20%がアウトドア用品、 釣り具とハンティング
用品が10坪ほどの片隅に置いてある程度だった。 アウトドアウエアや用品も釣人
のためというより地元住民の生活服であり生活用品の一部なのかもしれない。
フィヨルドと船
アウトドアショップ VINBUDIN
写真は撮れなかったが、壁にはスプーンとスピナーで60種くらいあった。
ABUのTobyがあったと思ったら、似てはいるがおおざっぱな造りのまがい製品が
2社20種くらい並んでいた。 田舎なので一流品は置いてないのかもしれない、
とも思った。ガイドにはここでフライを買うように勧められた。河はフライのみ許され
ているエリアが多いのでスピニングロッドでもフライが使えるように、リーダーの
先端に三又サルカンを付けそれに20㎝のラインに3号ほどの錘を付け、もう一方に
22lb.のリーダー40㎝にフライを付けて流れに乗せて流す。 ダウンショットリグの
ような仕組みでフライを河の流れに乗せて探るのでフライが浮いていたほうがいい。
それで軽くて浮くフライで実績のあるフライを一人4種各2本ほど選んでくれた。
チューブフライがいいというのは浮かせるという理由があったからかも。 当然
フックも軽い細身で小さめの強いフックがいいはずだから軽そうなフックも購入した。
店頭に並んだフライの数は200本くらい入ったトレーが4本あって800本くらいあった
かな。 結局、最後までスプーンを勧められることはなかった。
出発前の情報通り、現地の情報もあまり芳しくない。
今年はアトランティックサーモンの遡上が非常に少ない。天候も不順で夏は渇水が
続き、先週からの雨で河は濁っていてさらに状況はよろしくない。ブラウントラウトや
チャーはいるので小振りのフライもあったほうがいいので選んでおいた。サーモンも
チャンスはあるので着いたら早速やってみましょう、とのことだった。
Eyjar Fishing Lodge
釣り具店から1時間ほどでEyjar Fishing Lodgeロッジに着いた。比較的新しくきれい
で立派なロッジだった。世界各国からゲストが来るようでゲストの国旗が掲げてある
のには驚いた。 もっとも掲揚ポールは2本だけだったが。このロッジは釣り客だけ
ではなくハンティング客やフリーのツアー客も受け入れている。ハンティングにきた
30代の男子についてきた若い女子たちはディナータイムには軽いドレスを着て席に
着いた。 デンマークから遊びにきたという50歳くらいの夫婦はアチラコチラを廻って
もう1か月も帰っていないという。
ロッジの内部
優雅だ、実に優雅な人たちだ、と思った時にハタと気が付いた。 忘れかけていた
けどフィッシングは貴族たちの優雅な遊びでした。 イギリス貴族の伝統的な遊びは、
シューティング、ハンティング、フィッシングの3つであってこの遊びをするときは革の
長靴を履いてベストを着てタイをしてジャケットを着て帽子をかぶって正装する。
犬や鷹などを使う狩りをハンティングと言い、銃を使う狩りがシューティング、
あるいはオープンフィールドで馬に乗って狩りをするのがハンティングで、
お城の庭でそこで育てた雉や鴨などを撃つのがシューティングとか言われている
ようですがまだその違いがよくわかりません.。いずれにしろフィッシングも城主たち
貴族の遊びであって、このロッジに来る人々もそういうアッパーの人たちが集う場所
なのですね。ちょっと恐れ多くて自分の居場所がわからなくなってきましたヨ。
ヨーロッパには今でも 貴族の文化が流れているのです。 歴史文化の影響の
ないアメリカを見て学んできてそれがすべての世界の流れだと思ってきた自分には
歴史が見えていなかったことに気が付きました。 ロッジという名の釣り宿には似合わ
ない大きなチューリップグラスがいくつも並んだテーブルセットを見て、「頑張ってるな」
と思ったのは全く大きな見当はずれで、この貴族の遊び場には当たり前の晩餐会の
用意なのでした。 ヨーロッパに釣りに行くのならジャケットの1枚くらい当然のように
持っていくべきかもしれません。 今回の日本チームのなかにもジャケットを着て参加
したメンバーがおりましたが150年の歴史を持つ企業の知識人のMさんでした。
テーブルセット
ハンティングの獲物 レイン ディア と、
アトランティックサーモン
ロッジからの河 数枚ロッジのラウンジからは釣りをするBreiddalsa河と、その河口
が見渡せます。目の前の河は海から1㎞も離れていないくらいのところで河の周囲
にも河口のほうにも家や人も何も見えません。 遠くの山裾に教会のような建物が
見えるあたりに数軒の家があるだけです。 ロッジには河のエリアマップがありますが、
この河は名前と番号が付いたエリアに細かく区分されていて全部で88のエリアがある。
その1つのエリアにはそれぞれ2人の釣人が入り、1人のガイドが付くことになっている。
そして午前中は何番のエリアで午後は何番のエリアに入るか決められるので勝手に
移動することは出来ない。つまりこの河には多くても176人の釣り人しか入れない。
釣れるポイントに入れるかどうかは運次第というルールがあるようでした。
ロッジから見渡す河と河口
Breiddalsa河 エリアマップ
早速河に出る。 ガイドはアングラー2人に一人ついて車でエリアの河原まで移動し、
アングラーはそれぞれが思い思いの場所に入る。 川幅は思ったほどではなく広い
ところでも20mくらいで、狭いところは10mちょっと。 淵の淀みの深いところでも2mは
無さそうです。 こんな河にサーモンが遡上して来たら画像や写真で紹介されている
ように河の色が変わるくらいサーモンの群れが集まっているのが見えるのを期待して
いましたが、どこにもサーモンの姿は見えません。それでもサーモンが潜んでいそうな
ポイントを探しながらでこぼこの河の土手を歩く。土手には一面の草が生え、そこには
羊の糞だらけでとにかく糞を踏まないように転ばないように注意して歩くのでなかなか
気を使います。
初日はガイドの一押しのフライを使いましたが、半日なにも起きませんでした。
その夜は夜半からだんだん風が強くなり、寝ていても目が覚めるくらいゴウゴウと
吹き荒れ、 時折大粒の雨も降ってきました。 翌朝もまだ風も強く、7時の朝食が
終わるころになるとガイドが集まってきました。 しかし時折激しい横殴りの雨が吹き
つけるような天候では全く釣りになりません。ガイドは午前8時から12時の釣りを断念
するということを我々に伝え、午後の釣りは3時にまた決めましょうということで解散した。
これで3時まで何もすることがない。 ロッジのラウンジで釣りやハンティングの雑誌
を読む、ソファーに座ってボーッとする、携帯で遊ぶ、部屋に戻って寝る、ベッドに
釣り道具を広げてリギングし直す。 優雅な時間だ。
それでも3時になるころには風も雨も止み空も明るくなってきたのでいそいそと
出発準備にかかる。アイスランドでは夏は白夜になるが滞在した時期は夜の10時ころ
まで明るい。 釣りをする時間が充分あるのでこの日は少し遠くのエリアに入るつもり
のようだ。フライ専用のエリアと釣り方自由なエリアと両方廻るように依頼した。
河は昨日からの雨で増水していて濁りが出ている。 濁りの中では食いが悪いので
上流のきれいな水の流れ込みがあるエリアまで車でしばらく走る。 河を見ると先ほどと
比べるとかなりクリアな流れがあった。
河に立ちこんでフライを投げる。
河の流れにのせてポイントにフライを運ぶ。
流す・・・・ 待つ・・・・・ 喰わない・・・
流す・・・・ 待つ・・・・・ 喰わない・・・
流す・・・・ 待つ・・・・・ 喰わない・・・
遠くからSさんの声が・・・
「 おーい! 」
遠くのほうからSさんが手招きしている様子が見えた。
釣れたのかな?!
いそいそとゆっくり近づいていくとガイドが魚の大きさを計っている。
間違いない。 アトランティック サーモン だ!
あまり大きくなさそうだが、そんなことは問題じゃない。
一匹は一匹。 釣ったか、釣れないか、だ。
約55㎝。 最高峰の河の釣りが完結した!!
おめでとうございます。
その後も自分のロッドには魚のアタックはなかった。
2日目を終えての釣果はSさんが釣ったアトランティックサーモン1匹のほかは、
小型のブラウンが4人で5匹釣れただけだった。
最終日の今日は午前中の釣りで終わり。 まず初日に入った場所に行った。
水の濁りはかなりきれいになって淵の2mの底も見える。 サーモンのいそうな
場所を探してしばらくTobyを投げ続けたが反応はない。
小さめのTobyに変えても反応はない。カラーを変えても反応はない。
ガイドは河の支流に向けて移動する。昨日のサーモンも河の支流で釣った
からだ。かなりきれいな流れだが川幅の狭いエリアに入った。 ちょっと頼りない
河だがSさんはそこでも小型ブラウンを釣り上げた。 Sさんはスプーンよりスピナー
がいいよ、という。 スピナーを投げているとかすかな反応があった。 あげてみると
20cmくらいのブラウンが付いていた。アイスランドでの初物だ。
小さいけど1匹は1匹だ、と言えるほどの大きさでもない。
それでも記念に写真を撮ってリリースする。
ここは小さいのばかりが多いようでまた移動する。
少し行くと日本にも良くありがちな渓流に出た。
流れの中、淀みの中、石の影、 ロッドを振る。
流れの中でロッドにコツンとヒットがあった。
軽く合わせる。
魚の手ごたえがあった。
あげてみると40㎝ほどのブラウントラウトだった。
これなら小さいけど1匹は1匹だ。
アイスランドの釣りはこれで終わった。
ロッジに戻ってレイキャビク行のフライト時間までゆったり過ごす。ガイドが
寝過ごして少し遅れて出発した。 エイイルススタジルまで山越えの1時間だ。
舗装もしていない狭い山道をかなりのスピードで走る。 片方は数百mの崖で
落ちたらまあ助からない。 砂利道なのでタイヤが滑ったら終わりだ。
でも容赦なく走る。
分水嶺を越えてしばらく行くと小さな湖があった。そこでフライを振っている
地元の釣り人がいた。 アイスランドにきて初めて見た釣り人だった。
私たちが釣りをした河には全部で88のエリアがあり、多ければ176人の釣り人が
入れる。 そして釣れるエリアに入れるかどうかは抽選・・・・のはずだった。
しかし私たちはあっちに行ったりこっちに来たり自由にエリアを移動することができた。
そして釣りをする間も、移動の途中も一度も他の釣り人を見たことがなかった。
エリアが88か所もあるこの河で釣りをしているのは私たち4人だけだった。
サーモンがいなかったから釣り人もいなかったのだった。
帰路、レイキャビクでいちばんの釣り具店に行きました。 やっぱりここでも
アウトドアウエアと用品が数多く並んでいますが、さらに釣り具も充実しています。
まず店舗に入ってすぐ左の壁に並ぶスプーンやスピナーも相当数並んでいます。
300種くらいあるでしょうか。 Tobyもあるかと思いましたがやっぱりTobyはありません。
Toby風のまがいルアーが2種、サイズとカラー違いで60種くらいありました。まがい品
でもこれだけ並ぶのですからTobyの人気は衰えていないことは実感できます。
アイスランドでもABUのTobyの入荷はないようだ。
入り口から右の奥に行くとフライが並んでいますがその数に圧倒されました。
その数は数万点。 やはりフライの人気が高いようです。 スピニングタックルと
フライタックルの展示数を比較しても3倍以上フライタックルが多いですが、なかでも
フライロッドの数は100本近い展示がありました。 また寒いエリアですから防寒
フィッシングウエア、ギアが多く充実しているのは納得です。 総じて輸入品が多い
ので決して安くはありませんが、アイスランド全体に物価は高いようです。
また店の一番奥にはハンティング用の猟銃が並んでいました。
20万円~50万円まで様々な猟銃があります。 誰でも買えるようです。
平水域の世界最高峰のアトランティックサーモンフィッシング、新Tobyの試釣は
未完のまま旅は終わりましたが、Tobyの需要は認識出来ました。またフィッシングに
関してのいくつかの側面に出会う ことができました。 イギリス貴族の遊び、
ヨーロッパのアッパークラスの遊びと伝統の階級社会を垣間見てきただけでもいい
勉強になりました。 日本に帰ってから調べてみましたが、イギリスでもヨーロッパ
でも伝統と歴史を大切にする過程で階級社会の風習も伝統の一つとして持ち続け
られているのです。 この階級社会はイギリスでは貴族の直系という明確な素性が
あるのに対して、 ヨーロッパでは旧王族や旧貴族や領主に加え、代々のブルジョア
階級が交じりあい現在のアッパー階級となっているようです。
海の最高峰の釣りであるカジキのトローリングもヘミングウエイが遊んだ時代の
ように旧貴族、ブルジョアが入り混じって選ばれた人たちの遊びであった歴史もあり
ます。 しかしアメリカを中心に成長したトローリングは階級社会の影響を大きく
受けずに、事情が許せばだれでも参加できるオープンで優雅で紳士なスポーツ
フィッシングとして発展しました。
しかしお金のかかるスポーツフィッシングであることには変わりはありません。
日本では釣りは江戸中期から階級格差のない
国民的レジャーの一つとして大いに発展しました。
殿様はお忍びで屋形船に小姓と家来衆をのせて優雅に釣り糸を垂れて、
「おーい、船頭さん。さっきから何も釣れないではないか、
そろそろ餌を変えてくれい。 」
などと、日がな一日、優雅に過ごしていました。
大店の旦那は芸者衆や太鼓持を何人も引き連れて大船に乗って
ドンドンヒャラリ、チントンシャン
と三味線太鼓でにぎやかに江戸前に繰り出して、
大騒ぎの中で、ハゼなどを釣りながら、
旦那 「 おっ、また釣れたぞ、 網でとってくれ。 」
太鼓持 「 おおっ大きいでげすなー、いよっ、名人!
旦那は上手い!! さすがっ!! 」
芸者衆 「 きゃー、動いてるー、こっち来ないで いやーん、ばかーっ 」
町の若い男衆は町はずれの池に行ってうなぎを釣って串焼きにした。
その串の形が蒲の穂に似ていることから蒲焼という名前が生まれ、
串焼はその後 うなぎを開いて焼く現在の形になった。
長屋のご隠居は朝から田んぼの中の小川にいって、ひらり、ひらり、
と一寸もないタナゴを釣った。タナゴを釣る針は小さいほどいいので
1㎝もない針を さらに小さく削って極小の針に仕上げた。
そのためご隠居は眼鏡を新調した。
庄内藩では武士のたしなみとして黒鯛釣りが奨励され、加賀藩では鮎の
毛針釣りが奨励された。 庄内では和竿作りが発達し、
黒鯛の強い引きに負けない庄内竿が生まれた。
子供とおっかさん達は近所の池に行って手長えび釣りを楽しんだ。
それは今晩のおかずになった。
煮ても焼いても海老はおいしいので人気があった。
江戸時代後半には釣り堀があった。
釣りをする過程の楽しみだけの釣り堀が存在したのは、
江戸時代が平和で豊かな時代だったからだろう。
この時期に様々な 日本の文化が咲いた。
日本の釣り文化については幸田露伴が「游漁の説 」を説く中で、釣り人には、
品位、品格が求められ、釣りという遊びにおいて魚という対価を求めてはいけない、
と説いた。 露伴は釣りを“貴族の遊び”という範疇で考えていくことで列強の文化の
特権階級社会を日本の文化に馴染ませ、列強と対等な階級を日本に育てたかった
のかもしれません。 それが成功したかどうかはともかく、現代日本では釣りは庶民
の一大レジャーであり、美味しい魚を釣って食する文化はしっかり根付いています。
また庶民の釣り人であっても品位、品格を持っている人は多数います。
このように日本では“ 釣りは階級格差のない庶民のレジャー ”と 認識して
きましたが、世界標準においては
“ 釣りは貴族をはじめとするアッパー階級の優雅な遊びであるとともに、
庶民の幅広い遊びでもありレジャーでもある、”
とするのが正しいかもしれません。
とするならば、これからは少しリッチで優雅なアッパーな社会の釣りのビジネスを
模索するのも必要かもしれません。